ERIC CLAPTON エリック・クラプトン
クラプトンには高校生になって入れ込むようになった。やはりレイラを聞いてからだ。今でも人気の頂点にいるけど思えば実に長く、紆余曲折のあったキャリアだ。ブルースブレイカーズ、ヤードバーズに始まり、クリームによってそのアーティストとしての地位を決定づける。当時はあまり歌は歌わないでギターの神様と言われていて、クリームではベースのジャック・ブルースがリード・ヴォーカルだった。しかしクリームの人気はすさまじく、クラプトンはツアーに疲れ果ててバンドを解散させてしまう。その後、クリームのドラマー、ジンジャー・ベイカーと共に、天才キーボーディスト、スティ−ヴィー・ウィンウッドらを迎えスーパーグループ、ブラインド・フェイスを結成するがアルバム1枚で消滅。そのままクラプトンはシーンから姿を消してしまう。ドラッグ中毒になりもう死んだとも伝えられたほどだったが、友人のピート・タウンゼントらがクラプトンをレインボウ・シアターのステージに引っ張り出す。この時の模様もアルバム化されているが、いくら寄せ集めのメンバーと言えどもかなり粗い演奏で、当時のクラプトンがいかにひどい状態だったかがわかる。
そしてECは新天地アメリカに渡るのだ。最初のソロ・アルバムはレオン・ラッセル、デラニー&ボニーらアメリカ人ミュージシャンの力を借りて完成させる。Let
It Rain などの名曲生んだこのアルバムがECの新しいキャリアのスタートだった。そしてデュエイン・オールマンとの出会いが以後のECの音楽に多大な影響を及ぼす。デュエインはバイク事故で死去するが、デレク&ドミノスのメンバーではベースのカール・レイドルも数年前に死去している。思えば60年代、人気絶頂にあった頃、ジミ・ヘンドリクスと出会いECは度肝を抜かれる。彼のプレーを見た後、歯で弾くなどのジミのプレーを真似しだした時があったと、ジンジャー・ベイカーが語っているほどだ。そのジミがこの世を去りECはドラッグにはまり、一時期音楽活動を停止する。その後アメリカに渡ってからもデュエインが事故死してしまう。そして
Tears In Heaven で歌っている息子の死。クラプトンにはいつも哀しみがつきまとう・・・・
実は僕が生まれて初めて経験した外タレのコンサートがクラプトンだった。この時の様子は
Just One Night というタイトルでアルバム化されている。だけど僕はこのレコードを一度も聞いた事がない。なぜならこのライブには失望したからだ。武道館という場所も悪かったのかもしれないが、まずギターの音がトレブリーで耳障りだった。そしていきなり
Talsa Time で始まるレイドバックした雰囲気。盛りあがるはずの Layla も間延びしたアレンジで台無し・・・。以来クラプトンのライブには出かけなかった。
しかし90年ごろローリングストーンズのライブを観に行った時、ECがゲストで飛び入り出演したのを目撃した。この時LAのコロシアムで4晩続けてコンサートは行なわれ、僕は3晩見たがECが出てきたのは一晩だけだった。この時の感動は忘れられない。久しぶりに聞いた彼の生のプレーは最高だった。クラプトンは決してレイドバックする一方ではなく、ギタリストとしても前進しているのだ。
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